キャスパー・モレナール(Casper Molenaar)さんは、東ヨーロッパの研究をしていた学生時代にアムステルダムの古本屋で古い写真集を見つけました。
それはドイツ人の写真家カート・ヒールシャー(Kurt Hielscher)のものでした。
その写真集には、見事なユーゴスラビアの192枚の写真が銅版印刷で掲載されていました。
それはかなり高価な買い物だったので、キャスパーさんはそれを使って何かしたいと考えました。
そして、カート・ヒールシャーの写真と同じ場所を撮り、比較してみることを思い付きました。
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カート・ヒールシャーのヨーロッパの写真を現在と比較するプロジェクト
キャスパーさんは、今ではスペイン、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパの国々のカート・ヒールシャーの写真集をすべて手に入れ、それらの写真と現在の写真を比較するというプロジェクトを持っています。
今は、COVID-19のために、プロジェクトは中断していますが、そのプロジェクトの途中経過を公表しています。
第一次世界大戦が勃発したとき、カート・ヒールシャー(1881-1948)はスペインに滞在していました。
スペインは第一次世界大戦中、中立国だったので、彼はこの期間を最大限に生かそうと決意し、各地を旅して多くの写真を撮りました。
そして、1922年に304枚の写真が載った写真集を出版しました。
この本と講演会や展覧会で有名になったカート・ヒールシャーは、他のヨーロッパ諸国からも同様の本を作るように招かれました。
しかし、第二次世界大戦中にドイツのライプツィヒの爆撃によりネガは破壊されてしまいました。
そして戦後、彼の作品は忘れ去られていったのです。
クロアチア、トロギールのシティゲート(1926年と2019年4月24日の比較)
現在はライオンのモニュメントが無くなっています。
ヴェネツィアのライオンは、モニュメントではなく、政治的なシンボルとして見られていました。
当時、ヴェネツィアのライオンは、ダルマチアの領土主張のためのプロパガンダに使われていました。
古い公共建築物やトロギール市の城壁に飾られていた8体の石造りのヴェネツィアのライオンは、1932年12月1日ユーゴスラビアの若者のグループによって破壊されました。
これは市民に強い衝撃を与え、当時すでに悪化していたユーゴスラビアとイタリアの関係をさらに悪化させるものになりました。
イタリア、ローマのフォロ・ロマーノ(1925年と2016年の比較)
カート・ヒールシャーが写真を撮った1925年と、キャスパーが撮った91年後の写真は、ほぼ変わりありません。
オリジナルの神殿(紀元前497年)は、ローマで最も古い神殿の一つで、紀元前42年に再建され、壊滅的な火災の後、4世紀に再び再建されました。
碑文があり、"Senatus Populus Que Romanus Incendio Consumptum Restitvit"(火事で破壊され、元老院とローマの人々によって修復された )と刻まれています。
スロベニア、ブレッド(1926年と2018年の比較)
今ある教会 Cerkev Marijinega Vnebovzetja は、前の教会が1509年に火災で崩壊し、17世紀に再建されて以来、ブレッド湖のほとりに立っています。
高さ54メートルの時計塔は、周囲6キロの湖から見ても目を引くものです。
イタリア・ヴェネツィアのため息橋(1925年と2018年の比較)
この橋は、ドゥカーレ宮殿と刑務所をつなぐ橋です。
囚人たちは、地下牢に閉じ込められる前にこの橋を歩いて渡らなければならず、その橋の名前は、橋を渡って最後に日の光を見たときに囚人がため息をついたことに由来しています。
カサノヴァやガリレオ・ガリレイもこの牢獄に収監されていました。
モンテネグロ、ペラスト(1926年と2018年の比較)
修道院まで続く数百メートルの大通りには、バーやレストラン、土産物屋が並んでいます。
夏は暑く、ほとんどの観光客は急な階段を上ることができません。
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ドイツ、リンブルク・アン・デア・ラーン(1924年と2019年の比較)
ラーン川の対岸から、アルテ・ラインブリュッケ(Alte Lahnbrücke)まで少し歩くと、カート・ヒールシャーが96年前に撮影した写真のように見えます。
最初の建物がいつ建てられたのかは不明ですが、現在の形は1180年のものです。
1929年2月28日から29日の夜、城の西棟が大火事になり、消防隊はラーン川から城まで水を汲み上げなければなりませんでした。
極寒のため、厚さ1メートルにもなるラーン川の氷に穴を開けて水を吸い上げたようです。
復旧作業はすぐに始まり、1935年に完成しました。
スペイン、アンダルシア州ロンダのプエンテ・ヌエボ橋(1914年~16年と2019年の比較)
古い写真に写っている水車のある家々は、1917年7月に起こった15人の死者を出した岩崩れのために消えてしまいました。
プエンテ・ヌエボ橋(新しい橋)は、タホ峡谷に架かる3つの橋のうちの1つです。
橋の建設は1735年に始まりましたが、5年後に未完成の橋が崩壊し、作業員50人が死亡しました。
1751年に工事が再開され、1793年に橋が完成しました。
ドイツ、ケドリンブルク(1924年と2020年の比較)
現在はこの建物に観光案内所が入っていて、左手には観光列車が通っています。
口伝によると、この周辺は、サクソン公爵ハインリヒが、鳥のフィンチを捕まえている時に、ドイツの王になったことを知った場所とされていることから、「フィンケンヘルト」という名前がついたそうです。
観光案内所ではカート・ヒールシャーの写真のポストカードが販売されています。
クロアチア、ドブロヴニクとロクルム島(1926年と2019年の比較)
ドブロヴニクは、屋根に注目できます。
屋根は、20世紀の90年代の戦争を物語っています。
城壁は、戦争中に損傷して修復された新しい屋根と、損傷を受けずに残った古い屋根を区別することができます。
写真は杭門から450mほど上ったところにある展望台から撮影されたものです。
スロベニアのリュブリャナ城(1926年と2018年の比較)
もともとは中世の要塞施設です。
現在のリュブリャナ城の外観は、1511年の地震の後に改修されたものです。
2006年からは、キャッスルヒルへの登山が可能になり、高さ376メートルの丘の頂上までの道のりで、街や山々の素晴らしい景色を楽しむことができます。
山や海の自然と同じく、歴史ある建築物が変わらずに存在していてすごい!